最近読んで面白かった本をご紹介。
*今回はブログを
音声認識を利用して書いて(話して)います。気づき次第直していますが、誤字脱字が多めかも。







内容は、

第1~2章 なぜ日本は欧米列強の植民地にならなかったのか


第3章   日本人の平均寿命を V 字回復させたのは誰か


第4章 なぜ家康は利根川を左に曲げたのか


第5~7章 なぜ江戸は世界最大の都市になれたか


第8章 貧しい横浜村がなぜ近代日本の表玄関になれたか


第9章 弥生時代のない北海道でいかにして稲作が可能になったか


第10章 上野の西郷隆盛像はなぜあの場所に建てられたか


第11章   信長が天下統一目前まで行けた本当の理由とは


第12章 小型化が日本人の得意技になったのはなぜか


第13章 日本の将棋はなぜ持ち駒を使えるようになったか


第14章 なぜ日本の国旗は太陽の図柄になったか


第15章 なぜ日本人はもったいないと思うか


番外編 ピラミッドはなぜ建設されたか




この中で私が気になった 物をいくつかご紹介


第1章 なぜ日本は欧米列強の植民地にならなかったのか


何もなかった日本

江戸時代、欧米列国は病気療養や研究という名目で生物学者や地質学者を上陸させ日本列島を研究した。しかし日本には象牙やダイヤモンドはなく、金は採掘され尽くされゴムの木もなく小麦や大豆や綿花のプランテーションに適する広大な土地もなく太平洋諸島にあった暖かなリゾート地もなかった。
高い教育を受けた好奇心旺盛な人々はいたが奴隷にする人々はいなかったしアヘンを売りつける人々もいなかった。欧米人の欲望をかきたてるものはなかった。しかし日本列島には欧米人を恐怖させる自然が嫌というほどあった。大きな地震やコレラ、大雨による水害は欧米人を恐怖のどん底に落とした。日本は 70%の山と10%の湿地帯でできている。日本の平野は縄文時代は海の下にあり水はけの悪い湿地帯であった。侵略するなら欧米国は湿地帯を抜け山岳部に隠れる日本人と戦わなければならない。欧米の強力な騎馬軍団による素早い行動で陸上が制圧できなく植民地をすることができなかった。


欧米人の欲望をそそらない日本列島。
欧米人の恐怖をかきたてる災害列島。そして騎馬軍団の力が発揮できない地形の日本列島。
この日本列島の気象や地形の自然が欧米列強から日本を守った。



第12章 小型化が日本人の得意技になったのはなぜか

日本列島を歩く。


山々に囲まれ遠くを見通せない土地に生きていた日本人はことのほか情報好きで旅行好きだった。理由を見つけては旅に出た。日本人が旅をする時には山々を越え、海峡を渡り、川を横断し湿地帯を歩いて行かなければならなかった。 馬や牛を利用することを日本列島の地形が許してくれなかった。日本人は荷物を自分でかつぎ自分の足で歩かなければならなかった。そうした日本の地形が馬車や近代の車、鉄道文化が世界より遅れた理由でもある。


歩き続けて宿に着いた人々はいかにしたら荷物を軽くできるかの情報を交換し知恵を出し合った。工夫して小さくし縮めることが自分自身を助ける唯一の方法だったからだ。細工して細くする。凝縮して小さく詰め込む。細工していないものは「不細工」と非難した。詰め込まないものは「つまらないやつ」と侮辱した。


細工したりモノを詰め込んだアイデアマンは民衆に評価された。


番外編 ピラミッドはなぜ建設されたか

謎のピラミッド


ピラミッドの目的に関し昔から多くの説がある。最も有力なのが王墓説である。しかし王家の墓は別の場所で発見されておりピラミッドを王墓とするには矛盾だらけである。


ピラミッドはエジプト第三王朝から約1000年間複数の何世代もの古代エジプト人達が知恵と汗をしぼりピラミッド建設した。そのピラミッドが無意味な事業などであるはずがない。人間は無駄なことを1000年間継続できない。


ピラミッド群の主たるものは100基あり全てナイル川西岸に位置している。
pyramid_position
南風博物館より



なぜナイル川の左岸つまり西岸だけにピラミッドを建設したのか。それはナイル川西岸がピラミッド群を必要としたのだ。ナイル川の右岸つまり東岸には山岳地形が連続している。ナイル川西岸には砂漠が広がっている。

エジプト1


E3838AE382A4E383ABE5B79DE38387E383ABE382BF


西岸の砂はナイル川によって削られナイル川はリビア砂漠に向かって西へ西へと逃げて行く。 リビア砂漠に流れ込むとナイル川は砂の中に消えてしまう。ナイル川はエジプト人に砂と土砂を運んでくれた。特にナイル河口デルタの干拓にはもっと土砂が必要であった。そのためナイル川が地中海まで到達するよう西岸の流路を安定させる堤防が必要となった。しかし目も眩むような長いナイル川の西岸に堤防が築けない。そこで古代エジプト人たちは巨大な「からみ」を建設することとした。

日本にも「からみ」はあり、「
からみ」とは「からみつく」工法である。

20140410_1026446


何本も丸太杭を打ち込む打ち込んだ杭に木のつるや枝、竹をからみつける。干拓した干潟に刺し海の満ち引きを利用し、満ちた時に海水はガタと呼ばれる土砂を運んでくる。潮の流れはからみ周辺で速度が落ち澱む。ガタ土はそこれ沈降し堆積する。何ヶ月後にはからみ周辺に堆積土が盛り上がっている。


ピラミッドを適当な間隔で建設する。毎年ナイル川の洪水は上流から土砂を運んでくる。洪水はピラミッド周辺で澱む。澱んで流速が低下するとナイル川の土砂が沈降しピラミッド周辺に堆積して行った。そのためピラミッドは正四角錐でもなくてもよかった。後年発掘された約80 基のピラミッド群が様々な形状をしていた理由とそれらが全て砂に埋もれてた理由はこのためである。


古代エジプト人はナイル川の自然の力を利用して西岸に堤防を創出させた。これによりナイル川は地中海まで水と土砂を確実に到達させ、ナイル・デルタを干拓できることとなった。



残った謎


それはカイロ市近郊ギザの丘に立つ3基の巨大ピラミッドの存在であった。ピラミッド建設が堤防のためなら河口付近の高台のピラミッドは不必要である。


ギザの3基の巨大ピラミッドの目的は何か?
ギザの3基の巨大ピラミッドの表面には大理石が貼られていた。


ギザから下流には広大な三角州いわゆるデルタが広がっている。エジプトの農業の中心地はこのナイルデルタがある紀元前6000年前の地球の気温は現在より高かった。そのため地球の海水は温められて海面は現在より5メーター高かった。地球の気温は紀元前6000年を前にピークに低下していく。海面は次第に低下していき世界中の河川の河口で干潟が姿を現していった。ナイル川河口でも巨大な干潟が姿を現し始めた。荒涼とした砂漠を見られていた彼らにとって干潟は潤いに満ちた天国であった。この広大な干潟を自分たちのものにしたい。この干潟を干拓して農作物を植えて豊かになる。彼らはこのデルタ干潟を開拓する決意を決めた。


ナイル・デルタの入り口から先端の海岸線まで直線距離で200 km 以上に及ぶ。面積は九州よりも大きい大規模ナイルデルタだ。さらにこのデルタには葦が一面に生えていた。古代エジプト人はこの葦が茂るデルタを大いなる緑と呼んでいた。 この広大で荒れ放題の葦に囲まれたデルタでは方向感覚が失われる。方向を見失しなわない灯台が必要である。


夏の早朝の銀座中央通で通り向こうのビルとこちらのビルのガラスが光を反射させあった。複雑な光のなかに立った時その謎が解けていった。ピラミッド1基だと太陽の位置と見る方向によってピラミッドの面が影になる時間帯がある。それでは灯台の役目を果たせない。ピラミッドが3基あればどこかの面が太陽の光を受ける。ピカピカの体積は鏡のように光を反射させて隣のピラミッドを照らす。エジプトでひときわ大きく高台に建つギザの丘の3基のピラミッドは葦の生い茂るナイルデルタからいつでもどこからでも見ることができた。


ナイル川西岸の100基のピラミッドがナイル川の堤防を形成した。ギザの3基の巨大のピラミッドはデルタ干拓の灯台であった。ピラミッドはエジプト文明誕生と発展のために絶対に必要なインフラストラクチャーであった。



と、番外編が1番面白かったかも。この堤防説が自分の中で1番しっくりきてます。
久しぶりに読みごたえがある本でした。